ウイルスは、他の生物の細胞を利用して、自己を複製させることのできる微小な構造体で、タンパク質の殻とその内部に詰め込まれた核酸からなる。ウィルス、ビールス、ヴィールス、バイラス、ヴァイラス、濾過性病原体、病毒と表記することもある。
複雑な姿をしているヒトの脳も、元はといえば単なる管に過ぎなかった。脊髄や延髄、中脳、橋では中心管は神経管内に余り発達せずに原型をとどめたままであるが、先端部の終脳では、発生の間に中心管は複雑に拡大して広い脳室を形作り、また皮質も複雑に隆起や回転運動を起こしながら変形して、各頭葉が形成される。
初期の脳の形成は、中心管の前方が膨らんで形成される、前・中・後脳胞の3脳胞から出発する。このうち先端部の前脳胞は更に前方から「終脳胞」と「間脳胞」とに分かれ、このうち終脳胞が以下のような、顕著な変化を遂げる。
ウイルスは細胞を構成単位としないが、他の生物の細胞を利用して増殖できるという、非生物と生物の特徴を併せ持つ。現在でも自然科学は生物・生命の定義を行うことができておらず、便宜的に、細胞を構成単位とし、代謝、増殖できるものを生物と呼んでおり、細胞をもたないウイルスは、非細胞性生物または非生物として位置づけられる。しかし、遺伝物質を持ち、生物の代謝系を利用して増殖するウイルスは生物と関連があることは明らかである。感染することで宿主の恒常性に影響を及ぼし、病原体としてふるまうことがある。ウイルスを対象として研究する分野はウイルス学と呼ばれる。ウイルスの起源にはいくつかの説があるが、トランスポゾンのような動く遺伝子をその起源とする説が有力である。
遺伝物質の違いから、大きくDNAウイルスとRNAウイルスに分けられる。詳細はウイルスの分類を参照。真核生物、真正細菌、古細菌、いずれのドメインにもそれぞれウイルスが発見されており、ウイルスの起源は古いことが示唆されている。細菌に感染するウイルスはバクテリオファージと呼ばれ、分子生物学の初期に遺伝子発現研究のモデル系として盛んに用いられた。しかし、今日の分子生物学・医学の分野では「ウイルス」という表現は動植物に感染するものを指して用いることが多く、細菌に感染するバクテリオファージとは区別して用いることが多い。
Virus はラテン語で「毒」を意味する語であり、古代ギリシアのヒポクラテスは病気を引き起こす毒という意味でこの言葉を用いている。ウイルスは日本では最初、日本細菌学会によって「病毒」と呼ばれていた。1953年に日本ウイルス学会が設立され、本来のラテン語発音に近い「ウイルス」という表記が採用された。その後、日本医学会がドイツ語発音に由来する「ビールス」を用いたため混乱があったものの、現在は一般的に「ウイルス」と呼ばれている。また、園芸分野では植物寄生性のウイルスを英語発音に由来するバイラスの表記を用いることが今でも盛んである。「ウィルス」とも表記される。
微生物学の歴史は、1674年にレーウェンフックが顕微鏡観察によって細菌を見出したことに始まり、その後1860年にルイ・パスツールが生物学や醸造学における意義を、1876年にロベルト・コッホが医学における意義を明らかにしたことで大きく展開した。特にコッホが発見し提唱した「感染症が病原性細菌によって起きる」という考えが医学に与えた影響は大きく、それ以降、感染症の原因は寄生虫を除いて全て細菌によるものだと考えられていた。まだ病原菌が発見されていない病気も、顕微鏡を用いて発見されるのは時間の問題だと思われていた。しかし1892年、タバコモザイク病の病原が細菌濾過器を通過しても感染性を失わないことをロシアのディミトリ・イワノフスキーが発見し、それが細菌よりも微小な、顕微鏡では観察できない存在であることを示した。この病原体は、その性質から濾過性病原体とも呼ばれた。またこの研究とは独立に、1898年にドイツのフリードリッヒ・レフラーとポール・フロッシュが口蹄疫の病原体の分離を試み、これが同様の存在であることをつきとめた。同じ年にオランダのマルティヌス・ベイエリンクはイワノフスキーと同様な研究を行って、同じように見出された未知の性質を持つ病原体をと呼んだ。レフラーは濾過性病原体を小さな細菌と考えていたが、ベイエリンクは分子であると考え、この分子が細胞に感染して増殖すると主張した。
ベイエリンクの主張はすぐには受け入れられなかったが、同様の性質をもった病原体やファージが発見されていくことで、一般にもウイルスの存在が信じられるようになった。その後、物理化学的な性質が徐々に解明され、ウイルスはタンパク質からできていると考えられていた。1935年にアメリカのウェンデル・スタンレーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、この結晶は感染能を持っていることを示した。化学物質のように結晶化できる生物の存在は科学者に衝撃を与えた。スタンレーはこの業績により1946年にノーベル化学賞を受賞した。スタンレーはウイルスが自己触媒能をもつ巨大なタンパク質であるとしたが、翌年に少量のRNAが含まれることも示された。当時は遺伝子の正体はまだ不明であり、遺伝子タンパク質説が有力とされていた。当時は、病原体は能動的に病気を引き起こすと考えられていたので、分子ロボットの様な物で我々が病気になるという事に当時の科学者達は驚いた。それでも当時はまだ、病原体であるには細菌ほどの複雑な構造、少なくとも自己のタンパク質をコードする遺伝子位は最低限持っていなくては病原体になりえない、と思われていた。
(ウィキぺディアから参照しています)